ぼくは父から常にこう言われてここまで生きてきた。
「おまえは人に使われるんか?それとも人を使うんか?どっちや?」
うちは父が自営業で小さいながら会社をしている。
母は公務員だ。
小さい頃から両親からそれぞれ経営者思考と労働者思考に触れてきた。
経営者思考とは巷で言う帝王学と似ている。
要は王様なのだ。ただ愚王ではない。賢王である。
経営者=リーダーは自分を中心に置かない。常に中心には組織の維持・繁栄である。
常に大局を見、短期的なイベントでは動かない。数年後、数十年後を見据える。
労働者思考は単純だ。
自分の苦労と待遇が見合っているかどうか。これに尽きる。
労働者の中でこれは釣り合っているか待遇の方が上なら満足する。
また常に目の前のイベントに一喜一憂する。大局を見れない。常に目の前の敵がすべてなのだ。
経営者思考と労働者思考。
この二つに優劣はない。
強いて言えばリスクとリターンが違うくらいだ。
経営者思考はハイリスクハイリターン。
大きな責任を負う代わりに大きな報酬を得る。時には組織の維持のために自らを引くことさえも辞さない。
労働者思考はローリスクローリターン。
大きな責任は持たない。背負った責任に応じて待遇が上がる仕組みだ。
日本の場合よっぽどの事をしない限りは解雇にならない。
どうしてこの話をブログにしたかというと、あまりにもお互いを知らなさすぎる人が多すぎるからだ。
それぞれの思考は各々の両親からの影響が大きい。
カエルの子はカエルと言うが、思考は特に環境の影響を受けやすく幼少時代にどのような思考にさらされてきたかによって経営者思考と労働者思考のどちらかに決まる。
例外もあるだろうが個人的観測範囲では親が自営業だと経営者思考に染まりやすく、親がサラリーマンに類する雇われの身だと労働者思考に染まりやすいように思われる。
もちろんぼくは経営者思考に染まっている。ただ、母を見ているおかげで労働者思考というものも理解はしている。
この二つの思考は決して相容れない。なぜなら経営者思考で常に犠牲になるのは自分と労働者なのだ。労働者思考で犠牲になるのは組織なのだ。
労働者思考では個人の利益を短期的に最大化するように常に振舞う。待遇が良いところに常に移動、もしくは待遇改善を組織に突き付ける。組織は良い労働者を確保するために資本を切り、待遇改善を行う。
経営者思考では常に組織の長期的に最大化するように振舞う。(ただし、短期的にもできるだけ最大化するように努力する)組織の維持を最優先にするのだ。なんとか維持できるように常に振舞い、時には労働者に苦を強いるのだ。
組織が繁栄しているときはお互いにwin-winだが、衰退しているときはひどく対立する。
ここからが本題。
私は世に成功している方々はこのどちらの思考も理解していると思っている。
長期的に成功している経営者は労働者思考にも通じ、組織の中で出世していく人間は経営者思考に通じる。
現在、雇用の身にある方に伝えたい。
雇用主は常に経営者思考の持ち主である。そして経営者思考と労働者思考は対立する。
どのような人物を信頼し、重用するかは明白である。
経営者思考を学ぼう。上に立つものがどのような思考をするのかを学ぼう。
しかし、勘違いしてはならない。あなたは労働者なのである。
労働者は労働者思考に基づいて短期的に自己の利益が最大化するように振舞うべきなのである。
そうでないと食い物にされるからである。
しかし、振舞いすぎると嫌われる。あなたは上に行けない。それ以上の待遇もない。求めすぎたら切られる。
なぜなら雇用主は経営者思考の持ち主だからである。
能力に見合わない労働者を保持することは長期的には損になるからである。
出世する労働者というのは経営者思考に通じ、労働者思考を基本としながらも経営者思考をくすぐるような振る舞いをするのである。
あなたがある程度組織で出世したいのであればお金にならないだが、やらなければならない組織の仕事を引き受けこなすことが重要である。
経営者思考の持ち主は長期的に様々なものを投資できる人物を好む。
労働者こそ経営者から学べ。